(4)アート・ブレーキーとの出会い

NYでもグリニッジヴィレッジという所はちょっと独特の雰囲気で、ヴィレッジって言うくらいでのんびりしたほとんどビジネスやオフィスとかそういう匂いのしない所でした。
特にウェストヴィレッジはとても良い所でアーティスティックな雰囲気のアメリカ文化の良いところが集約されたようなところでした。
街を歩いているだけで自分の気持ちが高揚し周りにジャズクラブも沢山あってのんびりと、でも充実した日々を過ごしていました。
とにかくその頃一番感じたのは日本と違って時間の経過がゆっくりしているという事、レストランに入っても注文を取りに来るのが日本の3倍くらい遅い、でも誰もイライラすることもなく文句も言うこともなく別にゆっくり食べればいいじゃない、という感じで待っている。この感じは東京には絶対無かったものです。それは特にNYでもヴィレッジだったからという事があるかもしれないけど…..
驚いたのは道端でかっこいい男同士が抱き合ったり手を繋いでたりするのを見た時で後にそこが有名なゲイ達が集まるクリストファー ストリートだって分かったんだけど日本にはない新しい文化にも触れました。
その頃1974年はまだ日本レストランもNY中で3、4軒という時代で日本の車もほとんど走ってなくて、たまにニッサン、ダットサンを見ると妙に嬉しくなったりしました。

僕の住んでいたウェストヴィレッジには日本レストランがなく、ただ日本食や日本のグッズを少し売っている店があっただけで、日本食を食べに行く時はクロスタウン・バスに乗って12丁目セカンドアベニューにあるミエレストランに行くのが唯一の楽しみでした。後にそこのウェイトレスの人が引っ越すという事で僕はミエレストランの真上の部屋に住むことになるんですが、そこのチラシ寿司が大好物でジャズ好きのマスターが特別に、もうご飯が全く見えなくなるくらいネタを山盛りに乗っけてくれました。

その頃、サックスのボブ・バーグ、ジョージョーンズ・Jr. とよくセッションをやっていたんですがヴィレッジのブリーカー・ストリート(クリストファー・ストリートにも近い)にある「ブーマーズ」という所にアル・フォスターがリーダーでサックスがボブ・バーグ、確かピアノはシダー・ウォルトンだったと思うけど、出演していた時でした。アート・ブレイキーがふらっとマネージャーと一緒に遊びに来たんです。
アル・フォスターは敬意を表してステージからアートを紹介しドラムをたたいてくれるよう促し、アートがステージに上がってきました。僕はアートに会うのはその時初めてで、2、3曲一緒に演奏した後休み時間に挨拶に行ったら 「Give me your phone number!」と言われたので渡し、2,3日したらマネージャーから電話があって来週ツアーに行くから(確かシカゴだったと思う)大丈夫かと聞かれたのでもちろんOKと答えました。
この時から、僕に最も大きな影響を与えた偉大なミュージシャン「アート・ブレイキー」との長い音楽の旅が始まったのです。

鈴木良雄

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