(11) 転換期

その頃N.Y.で生活するようになってから徐々に意識し始めてきた自分の音楽を作る事と音楽家・アーティストとしての自意識、自覚というのが益々強くなっていきました。
とにかくN.Y.へ来てから全てが新しい世界で、スタン・ゲッツ、アート・ブレイキーをはじめメジャーのバンドで毎日のようにプレイし、ベースを弾く事に全エネルギーを使っていたので、あまり自分の音楽のことを考える余裕はありませんでした。
しかしビル・ハードマン、ジュニア・クックのバンドでビ・バップ、スタンダードジャズを毎日演奏していて何か自分の中に変化してきたものを感じ、自分が今一生懸命努力している事は既に今までアメリカにあったモダンジャズのベースの理想的な形に少しでも近付こうとしているだけなんだと思えてきたのです。
もう少し具体的に言えば、それまでずっと尊敬し、大好きなベース界の巨匠
ポール・チェンバースみたいに弾きたい、近付きたいと思い研究し、探求し、実践してきたということです。
ビル、ジュニアとは結局7~8年一緒に過ごす事になったのですが、だんだん
ビ・バップ(4beat)を演奏する事に喜びを感じなくなってきました。

その頃、N.Y.ではいわゆるフュージョンミュージックが全盛になってきてハービー・ハンコック、ウェザーリポート等たくさんのグループが新しい音を作って次々と発表していきました。
僕もそういう刺激的な環境の中、日々いろいろな音に接しながら自分の進むべき方向は何かと、模索し苦しんでいました。
日本を離れてからずっとCBS SONY&MUSICから新しいリーダーアルバムを作らないかというお話はあったのですが実際どういうアルバムを作ったらいいのか、自分の中にある意識がずいぶん変化したのでわかりませんでした。
それと僕のアーティストとしての意識に決定的な刺激を与えた人に、画家で今もN.Y.在住のYuichiro Shibataさんがいます。彼の創りだすエネルギッシュでインテレクチュアルな作品はその生き様と共に僕に強力なインパクトを与えました。アーティストとしてのアティテュード、意識の持ち方というのを彼から教わりました。
遅ればせながらただのベーシストからアーティスト鈴木良雄としての大きな転機を迎える夜明けがやってきました。

ジャズミュージシャンとクラシックのミュージシャンの大きな違いは、クラシックの場合はほとんど作曲者と演奏家が分業になっていますが、ジャズミュージシャンは自分で作曲し、自分で演奏する人がほとんどです。その作曲と演奏の比重の割合は人それぞれですが、この時僕はベーシストとして、又ベースだけで自分を表現するのは楽器の性格上充分ではない、難しいと考えたのです。
自己表現するには演奏者としてよりもっと作曲家として自分を表現していきたいと思い始めました。
ところがいざ曲を書こうと思ったら何を書いていいのか分からない、また自分の方向性も定かでないと言う大きな壁にぶつかってしまったのです。

  鈴木良雄

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