(5)アート・ブレイキーとの日本ツアー

アートは本当に良く仕事をする人でした。
ほとんど一年中休みなしで、ツアーからNYに帰ってくると一週間ジャズクラブに出演して又次の週からツアーに出るという具合でアメリカ国内でよく行った都市はシカゴ、デトロイト、クリーブランド、ロスアンジェルス、サンフランシスコ、フィラデルフィア、ボルチモア、ワシントン、ボストンっていう感じですかね….。あと国外ではロンドンにあるロニースコットクラブも2回くらい行っていると思います。
その時のメンバーはフロントにビル・ハードマン(tp)、デイヴィッド・シュニター(sax)、ピアノは時々変わりましたがロニー・マシューズ、ウォルター・デイヴィス・ジュニアが多かったと思います。
アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズに入って一年もしない内に日本ツアーもやりました。東京では郵便貯金ホール(この時渡辺貞夫さんが聞きに来てくれすごく嬉しかったです。)、関西、九州と回りました。
実はこの時、プロモーターがメンバーに日本人が入っているのは困るといってきたんですよね…..。理由はやはりアメリカのバンドの中に日本人が入っているとアメリカっていうイメージが壊されて、格が下がってしまうという様な理由だったと思います。
日本には昔から島国根性というか欧米に対する劣等感、舶来主義みたいなところがありますよね。今でもそういうところが残っているように思えますが、
この内と外という関係は日本が島国であるという立地条件上、永遠に無くならない事なんでしょうかね…..?
この話を聞いてアートは怒りました。鈴木良雄、CHINはオレのところのレギュラーベーシストだ。それが自分の国のベーシストがアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズのレギュラーベーシストとして日本に来るのは本当は誇りに思い大歓迎するはずなのに何ていうこ事だと、プロモーターに文句を言ったんですね。
それでもちろん僕は日本に来る事になったのですが、この時は内と外、とうい概念をしみじみと考えさせられました。
今でもNY に居た時と日本に帰ってきてからの扱いの相違を感じますし、
“from New York”っていう冠が付くと格好良く見えたりお客さんが入ったりとか、やはり日本はまだローカルなんですよね…。
ちょっと話がそれましたがこの様にアートとの初めての来日はいろいろなことを考えさせられました。
あとこの時はNYに渡ってから一年ちょっとだと思うのでそんなに懐かしい感じはしなかったけど、羽田に降り立った時、人・建物・道路、すべてがアメリカのサイズより一回り小さいな、とまず感じました。
友人達と久し振りに再会を喜び酒を酌み交わしましたが、10日ほどでハワイ経由で今度はロスアンジェルスに向いました。
ロスでの出演場所は「ライトハウス」で昔から名門のジャズクラブとして有名な所です。
この時はなんとローランド・カークのバンドとチェンジのステージでした。あのサックスを2本、3本同時に口にくわえて演奏するスタイルとエネルーギーに圧倒され、益々日本との文化の差(カルチャーショック)を感じました。この時は
アートのところにアイアート・モレラの一行も遊びに来て大いに盛り上がりました。

鈴木良雄

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