本田竹広

2006年1月28日

 本田竹広が逝ってしまった。まだ60歳の若さ、オレと同い年だ。

初めて彼を見かけたのが20歳の時の早稲田祭で、ダンモ研の部屋に友人と現れ、国立の音大生の彼らがリー・モーガンの「サイドワインダー」を演奏したのだ。
その頃の僕らはただレコードをコピーし、それらしく演奏できれば得意になっているようなレベルだったのに、本田はこの24小節のブルースの解決するところを半音進行に自分なりに変えて演奏していた。
僕はその時のレコードと違う演奏の仕方に驚きと新鮮さを感じた。
その後、僕がピアニストからベーシストになりプロの道に入っていく中、彼も色々なバンドで活躍するようになって名前を良く耳にするようになった。
オレが貞夫さんのバンドに入る頃だったと思うんだけど、本田がドラムの村上寛とトリオを組んでPIT-INNでやっているのを聞きその豪快な演奏ぶりに大いに刺激を受けた。
その後、本田のアルバムにたびたび参加するようになり、「ザ・トリオ」「This is Honda」等を作った。本田の音というのは太くて強くて、柔らかくてそして暖かい。その頃のCDを聞いてジャズを好きになったという人達に今でも良く会う。
オレが貞夫さんのバンドに誘われてベーシストにならなかったら本田のバックをやる事がなかっただろうに、運命って不思議なものだ。

彼の人生は短かったのかもしれないけど中身は十分濃くて、人の100歳分位は生きたんじゃないかな?
今年はモーツァルト生誕250年とかで騒がれている。モーツァルトは35歳で生涯を閉じているけど、その間に書いた作品は膨大であり偉大だ。
太く短く生きるのと細く長く生きるのとどちらがいいのか比べること自体、愚かだと思うけど、本田も十分に燃え尽きたと思う。
トコちゃん、本田と、オレと同い年のミュージシャンが若くして次々と逝ってしまったけど、向こうでトリオを組むのにBASSが欲しいから、 CHIN、早く来てよ、なんて言わないでくれよ! オレにはまだまだ修行しなくてはいけない事が沢山あるし、もうしばらく待って….!
昨日聞いたお前のCD、「ふるさと」は余計なものが全部そぎ落とされていてお前の魂そのものだった。
美しかった。
3月に森山威男とトリオで作るはずだったCDと5月のサントリーホールでのコンサート、実現できなかったけど、最後にまたオレをお前のBASSISTとして選んでくれてありがとう。とても嬉しかったよ!
冥福を祈る

                               CHIN

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