毎週の様に通うクラシック音楽の勉強は、今までずっとやってきたジャズと違いどれもこれも緻密に考えぬかれた完成品でした。バロック期(バッハ、ヘンデル、ヴィバルディ等)、古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーベン等)、ロマン派(シューマン、シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー等)のスコアをアナライズしていく日々が続きワーグナーを経て、最もモダンジャズの和声に影響を与えたと思われる印象派のドビュッシーや近現代音楽(ストラビンスキー、ラヴェル,バルトーク)へと続いていきました。
もちろん一番興味があったのは20世紀初頭から現代にかけての近現代音楽で今でもよく聴く音楽のひとつですが12音技法以後の音楽は頭で考え過ぎた音楽に感じ僕の琴線には響きませんでした。
その頃クラシック音楽の勉強をしながらもちろん「ビル・ハードマン・ジュニアクック バンド」でベースを弾いていましたが僕をクラシック音楽の勉強に駆り立てた一つの出来事がありました。ビバップ、スタンダードの演奏にもはや新鮮さを感じなくなっていた頃、前にも書いたと思いますがジャズモービルでハーレムで演奏する機会がありました。今では随分様変わりしたようですが、ハーレムはその頃もちろん黒人地区として存在し、余り治安が良くなくて1人で行くのは恐ろしい所でした。
その時のハーレムでの演奏は僕にショックというか目を醒まさせる大きなきっかけになったのですがビルとジュニアの他ピアニストはミッキー・タッカー(?)、ドラムはリロイ・ウィリアムズと全員黒人、周りを取り囲む聴衆も全て黒人という状況になり、もちろんこんな事は初めての経験で、恐いということはなかたのですが逆に皆の僕に対する拍手が暖かくてすごく嬉しかった事を覚えています。
その時感じた事はそこにいる全員が本当にジャズを、リズムを楽しんでいて至福のときという感じなのですが、ただ1人僕は音楽を楽しんでいると言うより一生懸命ジャズに近づこうとして努力している日本人、そういう自分の姿がはっきり見えてしまったのです。
この違和感から、自分って一体何なんだろう、自分の音楽って本当は何なんだろうと思い始めたわけです。
明治の文明開化以来、日本古来の音楽は日常から姿を消し音楽と言えばクラシック音楽という教育を受け、そしてジャズに出会った。この出来事は自分本来の姿に帰ってもう一度音楽家として出発点に立ち、考え直してみるという大きなきっかけとなったわけです。
クラシック音楽の歴史を知ったと言う事は沢山の物に目を開かせてくれ、今自分がどこに立っているのか、そして又どこへ向かえばいいのかと言う事を明確に分からせてくれたと思います。
鈴木良雄