ニューヨークの思い出

(10) Manhattan Plaza

アートとの思い出をずいぶん書いてきましたが、27歳の時にNYに来て僕も30歳になりグリーンカード(永住権)も取れて結婚する為に日本に一時帰ることになりました。
それでジャズメッセンジャーズを辞めることになったのですがその時はもう頭の中は結婚の事で一杯で、次のステップに向かって意気揚々としていました。この時は妻のグリーンカード取得の為、結局日本に6ヶ月ほど滞在し、夏の猛暑のNYに戻り新しいアパートで新たな生活を始めました。
NYに戻ったらアートからすぐに又バンドに戻らないかという誘いがありましたが、僕は一年中ほどんど毎日ツアーで過ごす生活に疲れていたのでしばらくNYに落ち着く生活をしたいと思いオファーを断りました。

そしてしばらくしたらメッセンジャーズでずっと一緒だったトランペットのビル・ハードマンがメッセンジャーズを辞め、サックスのジュニア・クックとco-leader bandを作るから来ないかと誘われ、このバンドだったらそんなに年中旅をするバンドではないので引き受けることにしました。
このバンドは沢山仕事がある訳でもなく、大きな仕事といえば年に1~2回のヨーロッパツアーがあるくらいであとはNYやNY近郊でコンサートやクラブギグをこなす感じでした。
お金にはならなかったけど家にいて音楽を聴いたりコンサートを聴きに行ったり、NYの生活をゆっくり満喫できるようになりました。 NYに戻った当時は15丁目6~7Avenue の小さなアパートに住んでいましたが半年くらいして43丁目9~10Avenueに出来た主にパフォーミング・アーティスト(ダンサー、アクター、アクトレス、ミュージシャン等)を対象にした、若いアーティストを擁護するアパートに移ることが出来ました。

このアパートが出来たという事は噂では聞いていましたが場所が43丁目9th Avenueと聞いてその頃その辺はガラの悪い治安が余りよくない新宿歌舞伎町みたいな42丁目に近い所だったのでチェックにも行かなかったんです。
ところがある時友人のパーティで会ったやはり日本人のベーシストの「ターボー」が既に入居していて聞いたらなんとそのアパートは43丁目9~10Avenueにまたがる45階建ての棟が二つそしてその間にプールとテニスコートが3面、そしてアスレティッククラブもある高級アパートだっていうじゃありませんか。早速次の日ワイフと見に行きすぐ入居のアプライをしました。
そこはManhattan Plazaといい、元々は普通の高級アパートとして建てられたものがその頃の地域性もあり入居者も少なく破産寸前となりNY市が買い取り70%を若いPerforming Artistsに、残りをseniorや障害のある人たちに、と低収入者も入れるように提供してくれたものでした。家賃は収入の30%以下というシステムで後は市の援助で賄われていて仕事の少ない時は家賃も少なくて済むというアーティストにとっては天国のような城でした。この市の援助は少しでも良い環境の中で素晴らしいアートを生み出して欲しいという主旨のもとに出来たものだったのです。

是非、日本の政治家達にそこに行って頂き文化に対する認識の違いを感じて欲しいと思います。 それは本当に素晴らしい環境でした。僕達の住んだ所は西側のビルでハドソンリバーの見える30階でしたが夕陽がとてもきれいな最高の部屋でした。ちなみに今、入居には6年待ち!だそうです。
僕もこれで結婚もし、きれいなアパートにも移ってようやく落ち着いて音楽に取り組めるようになりました。

鈴木良雄