今回から近況報告の合間を縫って、NY時代の事をいろいろ思い出しながら綴っていきたいと思います。
僕がNYを始めて訪れたのは1970年、渡辺貞夫カルテットで外国旅行をした時の事でした。
この時は増尾好秋とつのだ☆ひろが一緒で、ユーゴスラビア、モンとルージャズフェスティバル、ニューポートジャズフェスティバル等に出演する為に行った時でした。
とにかく初めての外国旅行、大興奮で舞い上がっていた旅でしたがNYはやはりJAZZのメッカ、特別の思いがありました。
泊まったのは42丁目にあったHotel Holland、経費節約の為2人部屋で隣の部屋とドア続きみたいな今から思うとかなりファンキーなホテルでした。
そこに日本で、NYに行ったら電話するといいよと言われていたベースの中村照夫さんに電話したらわざわざ会いに来てくれました。
当時はまだ日本人は本当に少なくて、よくNYで1人で頑張って生きてるなと敬意を感じたのを覚えています。
ちなみに秋吉敏子さんが渡米したのは1956年、僕が10歳の時でしたからこのお二方が当時の外国でご苦労なさったのは想像を絶すると思われます。
それから何回かNYを訪れ、時には1ヶ月位滞在したりして本格的にNYに移り住んだのは1973年10月でした。この頃増尾好秋、直居隆雄は既に居て、プーさん、川崎燎も僕と同時期にNYに移住するという今の大リーガーみたいに日本人ミュージシャンの大量NY進出の始まりの頃でした。
NYに住み出してからすぐに中村照夫さんを通して知り合ったミュージシャンとセッションを重ねるようになり、まだ20代前半だったBob Bergと、その頃治安が悪く今思うと恐ろしくなる南ブロンクスで夜中に12時頃から朝5時頃までドラムとトリオでやるギグなんてのをやっていました。
ある時、いつも一緒にセッションを演っていたドラマーがブルックリンで仕事を取ってきたので行ってみたらピアノがアルバート・デイリーでその頃彼はスタン・ゲッツのところのピアニストでした。そしてその時ドラムのアル・フォスターがその日の歌手の彼女に会いに来ていて目がハートマークになったままステージに上がってきて一緒に演奏したのを覚えています。
演奏が終わってアルバートが今スタンのところのベース(多分ジョージ・ムラツ)が都合で出来なくなってスタンがベースを探しているからオーディションを受けてみないかと誘われました。次の週オーディションを受けに行きアルバートが推薦してくれていたのかほとんどオーディションというよりリハーサルみたいですぐにOKが出、さらにオリジナルはないか聞かれたので一曲提供しましたがそれは採用はされなかったみたいです。
この事がきっかけで米国での本格的な活動が始まりました。まだNYに渡って3ヶ月目くらいの事だったと思います。
次回はスタンとの西海岸ツアーの事を思い出しながら綴ってみようと思います。
鈴木良雄