話が前後しましたが、スタン・ゲッツのバンドに入る少し前、増尾の紹介で ソニー・ロリンズの所のベースプレイヤー、ボブ・クランショウがツアーに出られないという事で、僕がトラ(代わり)をやる事になりました。フィラデルフィアにあるジャズクラブ“JUST JAZZ” に2週間出演したのですがピアノは確か ウォルター・デイヴィスJr.で、ドラムは名前忘れました。
渡辺貞夫カルテット以来の増尾との共演、この時はソニー・ロリンズがフロント、興奮しました。演奏そのものは良かったかどうか覚えていませんが、まだまだ発展途上にあったと思います。
そしてそのクラブに出演中にスタンの事務所から正式にバンドに加入する事への要請と、このあとすぐにカリフォルニアツアーに出るという知らせの電話があり、まだアメリカに移住して半年も経っていないのにソニー・ロリンズやスタン・ゲッツと仕事が出来るのは何か信じられないような気持で、でもはっきりした現実として受け止めていました。
あと、スタン・ゲッツとの思い出といえば、カナダのモントリオルに行った時、メンバーはピアノがアルバート・デイリー、ドラムはビリー・ハートのカルテットでそれこそ武道館ほどもある大きな体育館みたいな所で開かれたジャズフェスティバル出演した時の事でした。
本番になってピアノのアルバート・デイリーがサウンドチェックを済ませたのにもかかわらずステージに現れない、どうしたものかと思っているうちに演奏しなくてはならなくなり途中から参加してくる事を期待してスタートしました。
ところが結局アルバートは最後までステージに上がって来ず、スタンのソロの後はどの曲もベースソロ、もう必死で演奏しました。でもそれが結構受けて観客の暖かさを実感しました。
終わってからアルバートの部屋をノックしたら、顔出したのでどうしたの、と聞いたらリハの後寝ちゃったみたいでもうその時は一貫の終わりでした! ギャラはもちろん出なかったでしょう……。スタンもカンカンに怒っていました。
NYからわざわざモントリオールまでいったのに骨折り損でしたね…..。
スタンのバンドはその後僕がパーマネントビザ(永住権)を申請した事で申請中はアメリカ国外に出られなくなってしまい自然消滅してしまいましたが、ニューポートジャズフェスティバルでカーネギーホールに出演した時、ミュージシャンであれば誰でも憧れるホールでスタン・ゲッツと演奏できる事に興奮と感動を覚えました。
その後しばらくしてアート・ブレイキーとの出会いがあるまでの間はルイス・ヘイズのバンドにも在籍しました。バンドは3管のセクステットでフロントにチャールズ・デイビス、テックス・アレン等がいました。ピアノはロニー・マシューズだったと思います。
この頃僕はウェストヴィレッジのホレイシオ ストリートという所に住んでいてNYの自由なのびのびした日々を満喫していました。
まだベトナム戦争が終結しておらず、街には反戦と平和への強い願いが渦巻いていてヒッピー全盛期でしたね。
とにかく僕にとってはNYという新天地、毎日が新鮮でうきうきと本当に楽しい日々でした。
鈴木良雄