ニューヨークの思い出

(9) さらにもう少しアートの事

アートはもちろん類まれなるドラマーでそのダイナミックで大きなドラミングは他を圧倒していましたが、ただのドラマーというよりメンバーを引き付ける強力な求心力を持っている優れたリーダーでした。
リー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ウェイン・ショーター、カーティス・フラー、フレディ・ハバード、キース・ジャレット、チャック・マンジョーネ、シダー・ウォルトン、ウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、等ジャズ・メッセンジャーズ出身の人気、実力派ミュージシャンは数多くいます。
アートとやると自分の中の優れた部分を引き出してもらえるんですよね。とにかく僕もアートとやり始めてから日増しに自信がついてきたのを感じていました。

日本の芸の道には昔から徒弟制度というのがあって弟子は師匠に怒られたり、いびられたりしてもじっと我慢して、耐えて強くなって腕を磨いて一人前になっていくという風潮がありますが、僕の場合は上からいろいろ言われると自分が良かれと思って出している音がどうして駄目なんだろうと自信を失って落ち込んでしまう事もありました。
その逆にアートはいつもポジティブな態度でちょっと良いプレーを感じると、 もっとやれ、もっとやれとハッパをかけるんですよね。
ジャズ・メッセンジャーズで自信をつけて大きくなって巣立っていったミュージシャンは数限りないと思います。
この様にアートは優れたリーダーであり又皆が慕っていく親分、正にジャズ学校の校長先生でしたね。
フレディー・ハバードをはじめかつてジャズ・メッセンジャーズで脚光を浴びて有名になったミュージシャンがよく遊びに来ていましたし、後にメッセンジャーズに入ったウィントン・マルサリスもまだジュリアードの学生だった頃よく聴きに来ていました。

ある時、メッセンジャーズの卒業生を集めたコンサートがあり歴代のプレーヤー達が一堂に会しジャムセッションを繰り広げました。僕もその時現役のジャズ・メッセンジャーズとして参加しましたがそこに居られることを非常に誇りに思いました。
その時は昔学生の頃良く聴いていたハンク・モブレ―やベースの重鎮バスター・ウィリアムス、ウディ・ショー等もいました。

僕はメッセンジャーズで2枚のLPに参加しています。「メッセンジャーズ ウィズ ソニー・スティット」と「バックギャモン」ですが、初めてのアメリカのレーベルでのレコーディングとなる「ウィズ ソニー・スティット」の日、なんと寝坊して遅れてしまいました。
朝マネージャーから電話で起こされ、すぐにスタジオにかけつけたんですが、皆からのプレッシャーを感じてリラックスした良い演奏という訳にはいきませんでした。まだまだ演奏家として未熟だったと思います。反省…….。

その後ソニー・スティットとは何回か誘いがあってギグをしましたがかなりのアル中でしたね。
最初のうちはいいんですが、後半になってくるとベロベロでナスティーになってプレーも荒れてくることがありました。
アル中と言えば、一度だけフィリー・ジョー・ジョーンズとツアーのギグのチャンスがあったんですが、フィリーも最初のセットは素晴らしいんですが、後半だんだんヨレてきて、プレーが粗くなり、でも僕の中では伝説的な人で何せ大好きなウィントン・ケリー、ポール・チェンバースのリズムセクションのドラマーなので一緒に出来て本当に嬉しかったです。帰りはホテルまで車運転して送ってくれましたがベロベロで超恐かったです。

話がそれましたが、とにかくアートとの出会いとプレイした毎日は僕の音楽人生に多大な影響を及ぼし、又数知れないたくさんのミュージシャンと知り合う事も出来ました。本当にラッキーだったと思います。

鈴木良雄