ニューヨークの思い出

(12) クラシック音楽の歴史 Ⅰ

ピアノに向かって悶々とする苦しい日々が続きました。
その頃は仕事もそんなになかったし、朝ワイフが勤めに出て行くと夕方帰ってくるまで1人の自由の時間が持てたのでドップリ音楽に浸かっていました。
その頃はあらゆるジャンルの音楽を聴いていました。ジャズ、クラシックは元より民俗音楽、日本伝統の音楽(雅楽、民謡など全て)を聞いたりしましたがどういう訳かヘビーなロック音楽だけはどうしても肌に合いませんでした。

何か地に足が着いた自分の音楽を見つけたかったんだと思うのですが、相変わらずピアノに向かって手探りの状態が続いていました。
そのうち、作曲するには何か特別な作曲法というのがあってそれを勉強しないと駄目なのかなと思い始め、ジュリアード音楽院やマンハッタン・ミュージックスクールの作曲科の夏期講習に通ってみたりしました。
そこでジュリアードの先生に相談したところ、とにかく一度書いた作品を持ってきなさいと言われてどちらかというとクラシック音楽に近い曲を書いて持って行きました。その頃ジュリアードの作曲科と言うのは調性のない12音技法(セリー)が主流で先生は僕の譜面を見るなり、君はまだジュリアードの作曲科に来る準備ができていないから去年卒業した一番優秀な生徒を紹介するのでまず彼から基礎を習いなさいと言われ、僕より10歳以上若いアラン・ギンベルという人に付いて勉強する事になりました。

最初はまず古代のクラシック音楽(ヘンデル、ヴィヴァルディ)の頃から始まってバッハ、モーツァルト、ベートーベンと進んでいくわけですが、僕は作曲法というのはもっと技術的なことを具体的に教えてくれるのかと思っていたらそうではなくて、結局アナライズをしてその人がどのようにして作曲したのかと言う軌跡を辿りそこから作曲の技術を取得勉強していくわけです。
彼の家に朝早く行ってレコードを聴きながらスコアーを見てその曲がどの様な形式になっているのか又どこに転調していくのかと言うような事を分析して改めてその曲を聴いて見ると、それまで何となく聞いていたのと大違いでその曲の全容がはっきりとクリアーに聴こえてくるのです。

僕は音楽学校に行ったことはなく、唯一のミュージックスクールというのは渡辺貞夫さんの開いていたヤマハのジャズスクールでジャズの理論・アレンジメントを習っただけだったので、その様な方法で作曲について学ぶ(クラシック音 楽の歴史を勉強する)という事は本当に目からうろこでありそれ以後音楽を作る上で大きな糧になりました。
毎週レッスンが終わると次の課題曲が出て、帰りにカーネギーホールの一本down townサイド、56丁目にあるクラシックの楽譜を専門に売っている店に行ってスコアーを手に入れ、図書館に行ってレコードを借りたり又ないものはレコード店で買ったりして勉強しました。
元々僕の家はクラシック音楽どっぷりの家庭だったので、子供の頃から母が教えるピアノの音や、姉の弾くバイオリンの曲が年中家の中で鳴っていたし、僕自身も3歳の頃から父にバイオリンを習っていたのでアナライズする曲の中には(特にバッハ、モーツァルト、ベートーベン)口ずさめる程身体の中に入っている曲もたくさんありました。
しかしスコアーを見て客観的にそれらの曲をアナライズしてから聴きなおしてみると、なんとそこには理詰めで、でもナチュラルで人間としての崇高な美しい魂の叫びが聴こえてきて驚かされました。
バッハからは神・数学・科学といったものを感じ、モーツァルトからは美しい自然そしてその中で生きている人間の喜び、ベートーベンからは知性、そして強靭な精神力、又大きな美しい建造物のように非の打ち所のないパーフェクトな構造的な音楽の美を感じました。
この三人の偉大な作曲家の作品は現代でもまったく色あせることなく沢山の演奏家によって演奏されていると言う事は、人類にとって大きな文化遺産だと思います。

鈴木良雄